「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 23

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 23

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 23

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 23

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 23

■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 23

 熊野神社と今山

 桜の花も散り、葉の新緑が美しい季節になりました。今年の4月上旬、横浜の「八幡桜」の夜間ライトアップをご覧になった方も多いでしょう。

 「八幡桜」が植えられているのが、今回ご紹介する熊野神社の参道入口です。

 この神社は今山(標高80m)山頂付近にあります。

 今山は昔、ふたつの丘陵を持つ山でしたが北半分は失われ住宅地になっています。

 熊野神社は残る南の丘陵に祀られています。

 いつ頃造られたのかはっきりしませんが、一説には神功皇后の三韓出兵で開運安全・武運長久を祈願し紀州熊野より歓請建立したとも云われています。

 記録によると1872(明治5)年には村社として定められています。

 江戸時代の書物、「筑前国続風土記付録」には『熊野社 神殿方一間・拝殿方三間・祭禮9月12日・石鳥居一基・奉祀津田和泉…』と始まる一文があり、熊野神社や今山について詳しく書かれています。

 この記録を要約すると、『…熊野社(神社)は夷魔(いま)山(昔はこう呼ばれていた)の中腹にあり、これは村の艮(うしとら)の方向にあたる。北原、横浜の二ヵ所の産土神(うぶすなかみ)であり、祭神は伊弉册尊(いざなみのみこと)・事解男命(ことさかのおのみこと)・速玉男命(はやたまのおのみこと)である。

 里民によると昔、異賊が襲来したときに神功皇后が、この山に陣を置き、柏の木にて弓を作り、敵に向かって矢を放ち賊を追い払ったとの言い伝えがある。故にこの山を弓張山ともいう。これにちなんで毎年9月12日には柏の木で弓を作り、神前に供える。

 また、社(やしろ)後ろの林の中に大きな岩があり、これを八大龍王として崇めている』

 と書かれていて、神功皇后伝説ゆかりの神社であることがわかります。

 その他にも『…山の下に観音堂があり、清賀(上人)の作と伝わっている。この山に寺があったと云われているが寺の號(名)はわからず、怡土郡七ヶ寺のいずれかであろう…』などの記述もあります。

 この文中にある清賀上人は雷山観音などを作った人物として高名な方です。

 今山の東の展望広場からは博多湾が一望でき、西の展望広場からは可也山や糸島平野が眺望できます。

 東の展望広場には毎年、初日の出を見にくる方が多く集まることでも知られています。

 冒頭のかるたの読み札は正月の初祭り、神社に立てられた織旗の風景を読んだものです。

 神社へ向かう参道は石の階段が長く続きます。日頃から地域の方々が掃除し、大事に守ってきた神社です。

 機会があれば一度参拝してみてください。

 周辺には桜の木の他にもやぶ椿の群生もあり、美しい山です。

*今山は弥生時代の石斧(太型蛤刃石斧(ふとがたはまぐりばせきふ)の製造所として国の史跡に認定されています。

(田中)

*参考文献

「筑前国続風土記付録」

著者 加藤 一純
   鷹取 周成

 

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★今宿タイムズ第404号 平成28年(2016年)5月1日

間もなく落成式 新玄洋公民館の紹介
新任挨拶 玄洋公民館館長 松本 清訓(きよのり)
玄洋校区 各種団体役員交流会
ピッカピカの1年生 今宿小学校 第130回入学式
玄洋・今宿校区「子ども会育成会」入会のお願い
今宿校区 第3回 チューリップ祭り
待ちに待った1年生 玄洋小学校入学式
うわごと
先生たちの異動
新任ご挨拶
着任挨拶 JA福岡市今宿支店 支店長 典略 和久
「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 23
春は「さくら」も健康診断!
コーヒーブレイク
第10回「なまず会」七寺川清掃活動
今月の男女共同参画 42話
今宿五行歌会(自由)
ご芳志の御礼