「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 24

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 24

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 24

 

■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 24

 今回は八雲神社についてご紹介いたします。

 江戸時代に書かれた「筑前国続風土記付録」を調べると上原村の項に「祇園社」としてこの神社のことがかかれています。この頃まではまだ「八雲神社」とは呼ばれていなかったようです。

 この風土記付録の文章を要約すると

『この神社は志摩郡青木村との境にある。此村(上ノ原村)及び青木村・谷村・今宿(谷の枝村として)・女原の5箇所の産土神(すぶすなかみ)である。

 祭神は素戔鳴尊(すさおのみこと)、大巳貴命(おおあなむらのみこと)、櫛稻田姫(くしなだひめ)他。

 鎮座の云われはよくわかっていない。神殿に元禄年中綱政公が揚げた絵馬一篇がある。社内に薬師堂がある』

 他の文献によると『由緒は不詳。明治5年11月3日に村社にさだめられる。

 また一宮神社(大字青木)の■■草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)・大山積神(おおやまずみのかみ)、木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ)の5祭神と千地泉天神社(大字青木)の埴安神、同じく二宮神社(文中では大字青木とあるが谷では?と思われる)の埴安神が明治42年4月26日に八雲神社に合祀。

 明治45年2月2日に無各社天神社(文中では字子濱とあり今の大谷辺り)の埴安神を合祀することが許可され、同じ埴安神に付き合併と同時に合霊せり』と書かれています。

 これにより、素戔鳴尊(すさおのみこと)他の3神に明治になってから、近くの神社の6神を合祀して合わせて9神を祀る大社となりました。

 真偽のほどは定かではありませんが明治34年に書かれた「村社八雲神社調査書」には古老の伝説との前置きで始める文章に『崇神天皇(BC79年~)の頃に青木、上原、相原、女原、谷の氏神として建てられた。昔は立派な社があり今も古宮(ふるみや)の地名が残っている。

 神職の青木氏は源の裔(みなもとのすえ)である…何時の頃からか神職の姓が青木から津田に改められた』とあり、『最後に津田古文書、應永(おうえい)22年(1415年)12月7日青木祝言大宮司助次郎書破損に付き津田甚大夫正則、享保10年(1725年)正月19日に真写』とありました。

 文中の應永年間は室町時代にあたり、八雲神社建立の経緯は不明ですが、少なくとも室町時代に書かれた古文書を江戸時代になって書き写していることから、この神社が随分古い時代に建立されたのは間違いないと考えられます。

 ただ、元々は上ノ原堀の内、北の谷山中に祀られていましたが焼失したため元和2年(1616年)に建て替えられ、その後明治15年に当地に移されました。

 八雲神社では毎年正月元旦に青木獅子舞が奉納され福岡市の無形民俗文化財に指定されています。

 また、福岡市指定文化財の若武者絵馬があります。

 これは黒田藩4代藩主綱政が元禄14年に祇園神社(青木神社)に奉納したもので、狩野昌運の描いたものです。

(田中)

参考文献

筑前国続風土記付録
村社八雲神社調査書等

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