「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ45

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「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ45

■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ45

 今回の読み札は、糸島市にある怡土城址を詠んだものです。

 タイムズ421号でも怡土城について取り上げましたので記憶している方も多いでしょう。

 421号では怡土城を居城としていた原田氏を中心に載せましたが、今回は怡土城築城の理由とその背景について調べてみました。

 怡土城は糸島市と福岡市の境をなす高祖山の西斜面に築城された古代の山城です。その起源は古く、吉備真備(きびのまきび)がその築城を担当し、天平勝宝8年(756年)から神護景雲2年(768年)にかけて築城されました。

 吉備真備は奈良時代の公卿で遣唐使として唐にも二度渡り、学者として知られていた人物です。 朝廷の命を受けた真備がここに山城を築いたことは記録に残っています。

 しかし、ここに築城した理由は詳しくはわかっていません。しかし、この頃、日本国を取り巻く諸外国の情勢変化にあったと考えられます。

 当時唐では安禄山の戦い(755~763)などで内乱が勃発し、不安定な状況にありました。

 また、築城に遡ること天智天皇2年( 6 6 3) に起こった白村江の戦いでは日本は新羅に敗れています。

 このような情勢の中、新羅など外敵からの侵略を恐れて、九州の重要な地方行政機関であった大宰府を守るため、各地に城を築きました。

 水城(天智天皇3年・664)、大野城・基肄(きい)城(同・665)などの山城です。

 その流れの中、怡土城も大宰府を守るために造られたと推察されます。

 しかし、大野城・基肄(きい)城築城からは約91年後の新たな山城築城ということで怡土城の築城には朝廷の強力な力が働いたことでしょう。

 また、怡土城は唐へ留学していた吉備真備に築城させたため、先に造られた水城などの朝鮮式山城とは異なり、大陸的な中国式山城であるのが特徴です。

 当時としては最新式の山城、それが怡土城なのです。

 城跡はその後、原田氏の居城として使われることになりました(タイムズ421号参照)

 現在は城の跡を示す石塔が山中に静かに建っています。

※昭和13年(1938)に国の史跡に指定されています。 (田中)

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★平成30年(2018年)5月1日 今宿タイムズ第428号

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