「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 27

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 27

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 27

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 27

■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ 27

元寇と元寇防塁 前編

 今回の読み札は長垂公園の松林の中にある松の古木の切り株と元寇防塁の石について詠んだ一句です。

 鎌倉時代、蒙古(元)が日本を2度に渡って攻撃しました。

 この蒙古軍の襲来が「元寇」です。

 「寇」という字には他の国や領土を侵略するという意味があります。

 蒙古が国の名を中国風に「元」と改めたためこう呼ばれました。

 この2度の襲来が文永の役(文永11年・1271)ち弘安の役(弘安4年・1281)です。

 この未曾有の外敵の侵入に日本は一丸となって戦いました。

 そして740年以上もたった今でもその痕跡がこの今宿にも残っています。

 通説では、文永の役、弘安の役共に神風が吹いて蒙古の船団は沈み日本は救われた、となっています。

 2014年に出版された服部英雄氏の著書「蒙古襲来」ではこれまでの「神風説」を検証しています。

 著書の中でで肥後国御家人竹崎季長(たけざきすえなが)が作成した「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」を詳しく調べ、その中で見えてきたのは当時の御家人達の活躍でした。

 この「蒙古襲来絵詞」が資料として一級品であるのは、

(1) 絵巻物であること。

 絵という非常にわかりやすいアイテムを使用することにより当時の様子がわかりやすくなっています。

(2) 元寇後、比較的すぐに描かれていること。

 大抵の書物や絵巻物は後世の人が書いたりすることが多いのですが、「蒙古襲来絵詞」は実際に戦った竹崎季長が絵師に描かせているため当時の様子がリアルに再現されています。

 そして見えてきたのは、日本が神風により助けられたという神風史観にとらわれた誤った歴史です。

 ほとんどの文献には、文永の役の際「蒙古軍が圧倒的に勝利していたのになぜか一晩で船に引き上げてしまった。そして神風によって多くの船が海中に沈んだ」と書かれています。

 でもこれが「蒙古軍は日本軍の必死の抵抗にあい目的を果たせず、一旦志賀島に滞在し、それから引き上げた」なら納得がいきます。

 そもそも1万人を超える軍勢が敵国に上陸して一晩で船に戻るなど物理的に無理な話です。

 そして辛くも蒙古の軍勢を追い払った日本軍は再度の襲来に備えて準備を整え始めます。

 そのひとつが冒頭の読み札にある元寇防塁です。

 次回はこの防塁について詳しくご紹介したいと思います。

 (田中)

参考文献

「蒙古襲来」服部英雄著他

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★今宿タイムズ – 平成28年(2016年)9月1日 第408号

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