「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ4

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ4

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ4

 

■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ4

 「叶ヶ嶽神社・地蔵堂」

 叶岳(341m)は正三角形の美しい山です。叶岳から高地山(正確には羽根戸山)や高祖山への登山コースもよく知られています。その叶岳山頂にある「叶ヶ嶽神社」は地元の方々をはじめ遠くからも参詣があり、年4回の大祭(注1)も多くの方々が訪れて賑わいます。

 明治時代に神仏分離令が出され、今ではほとんど見かけなくなりましたが、実は「叶ヶ嶽神社」は神社でありながら、ご神体を「勝軍地蔵」とする、神仏習合(注2)の地蔵堂です。

 そのため、神主さんではなく僧侶がお参りにくることで知られています。現在も年に2回(大祭)は、周船寺の龍松寺からご住職が見えられます。また、地蔵堂なのに鳥居があるのも神仏習合の名残でしょう。

 貝原益軒の「筑前国続風土記」等の資料や地元の方のお話によると、この地蔵堂が建てられたのは、約600年前、原田氏の家臣だった吉住因幡守忠親が戦によって命を落とした城主の子どもの供養にと、京都愛宕権現から勝軍地蔵の分霊をこの地に移したと伝えられています。

 元々この叶岳山頂には大きな石があり、地蔵堂を建てる際にその石を取り除こうとしたが難しく、その石の上にお堂を建立。しかし、火災によりお堂は焼失、石も焼かれ砕けて谷に落ちた鳥居だけが残ったと云われています。

 その後は、約500年前、因幡守直政により再建、約400年前に城主原田了榮により改造、340年前、藩主黒田忠之による再興、160年前には怡土、志摩、早良の3郡による再興と、このお堂は時代の主権者から護られ続けてきました。

 現在のお堂は昭和3年に焼失したものを地元や信者の方々の浄財で昭和7年に再建されたものです。昭和27年~28年頃には、山頂への参詣が大変であることから、山の中腹に新たにお堂が遥拝所として建てられました。

 叶岳の「叶」は願いが叶うという意味で名付けられたと云われています。しかし、一方で古代にこの山麓で製鉄が盛んに行われたことから金(鉄)が生まれるという意味で「金生」を「かなう」と読み、それが叶に変わったという説もあります。

 その美しい山の形と山麓から湧き出す水で田畑を潤し、古くから人々の信仰の対象となってきた叶岳(叶ヶ嶽)は、今もその姿を変えずにいます。

(田中)

(注1)

 叶ヶ嶽大祭は1月1日・1月4日・4月4日・7月24日の年4回行われています。

(注2)

 神仏習合とは日本土着の神祇信仰と仏教信仰が混淆(こんこう)し、ひとつの信仰体系として再構築(習合)された宗教の現象。

参考文献
「筑前国続風土記」
「今宿校誌」他

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ4

 

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