「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ1

今宿タイムズ

「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ1

■「筑前今宿歴史かるた」から今宿の歴史を学ぶ1

 「今山遺跡 石斧」

 今山は横浜2丁目にある標高僅か80mほどの小さな山です。この山に弥生時代に石斧の製造所があったことが判明したのは、今から100年ほど前、当時九州大学医学部教授の中山平次郎博士が、大正元年横浜地区の民家の側で1個の石斧らしい石を拾ったことから始まります。

 中山博士は医師でありながら幼いころより考古学に興味を持ち、考古学の分野で顕著な業績を残した人で元寇防塁の名付け親としても有名です。博士が拾ったこの石が石斧の未完成品であったことから、この辺りに石斧製造所があったのではないかと横浜一帯を捜しました。

 しかし、その場所はなかなか見つからず、なかばあきらめかけた大正12年、今山の熊野神社に登った際、神社の裏に玄武岩の破片や石斧の未完成品を大量に発見しました。

 縄文・弥生時代には様々な生活道具が石で作られていました。今山は地下のマグマが噴出してできた玄武岩があり、その硬い材質が木を切り倒す石斧に適していました。今山の石斧はそのふっくりしたハマグリのような形状から「太型蛤刃石斧(ふとがたはまぐりばせきふ)」と呼ばれ、糸島平野を始めとして、福岡平野、佐賀平野、筑後平野、熊本平野などからも発見されており、遠くまで流通していたことがわかっています。

 今山に住んでいた人は石斧を作る他に漁を行ったり、塩を作って生活していたようです。集落の後などは見つかっていませんが、魚を獲るためのオモリや塩を作るための土器などが発見されています。

 また、今山では発掘調査により石斧以外の遺物も発見されています。標高30m辺りからは中国から輸入された青磁や白磁の椀、古伊万里の破片が出土し、また、頂上の白鬚神社では土師皿(はじざら)も出土し、中世の今津港や近世の横浜港の海運がさかんであったことと何らからの関係があったと推測されます。郷土史家の大内氏の見解では、当時の対外貿易には神社が深く関係しており、今津に近いこの地に筥崎宮の今山別所(べっしょ)があった可能性があるとのことでした。

この今山は山全体が国の史跡に指定されています。

★皆さんは「筑前今宿歴史かるた」をご存知ですか。

 これは平成12年に今宿公民館高齢者教室の活動のひとつとして作成されたものです。いろは47文字で作られたこのかるたは希望者へ販売され、この14年間、公民館や町内集会所、学校など今宿地区で折にふれて使用され愛されてきました。

 また、かるたの題材になった場所にかるたの読み札が立てられているところもありますので、町の中で目にした方も多いでしょう。

 今月からこのかるたを題材にしながらわが町今宿の歴史についてご紹介していきたいと思います。

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